「貧乏人は麦を食え」ってなかなかにショッキングなセリフですよね。
総理大臣も務めた池田勇人の言葉とされていますが、実際はどうなのか調べました。
池田の真意はどこにあったのでしょう?解説します。
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「貧乏人は麦を食え」は誰の発言?
「貧乏人は麦を食え」というのは、当時大蔵大臣だった池田勇人の国会答弁が翌朝に新聞で報じられた際の言葉です。
池田勇人の発言が、切り取られた形で「貧乏人は麦を食え」とされてしまい、野党や国民から反発を受けてしまいました。
元々の池田勇人の国会での発言は、「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。」といったものだったようです。
「貧乏人は麦を食え」のいつの話?
「貧乏人は麦を食え」は、1950年12月の参議院予算委員会での池田勇人蔵相(現財務省)の発言です。
1945年8月が終戦なので、戦後間もない時代の話なんですね。
当時、米の値段が上がっていることに対しての答弁だったようです。
戦時中から米麦等の食料は不足しており、終戦後は不作も加わり大変な飢餓が生じ、当時、食糧流通は統制されていました。農家は安い価格で農産物を政府に売り、政府は貧しい人も買えるように安い価格で消費者に均等に売っていたのです。裕福な者でも決められた量以上を購入することができない「配給制」だったんですね。
「貧乏人は麦を食え」の意味│池田勇人の真意は?
当時、米は高級財で、麦が劣等財でした。市場経済であれば、裕福な人は米、貧しい人は麦を食べるということになります。
池田勇人の発言の趣旨は、大蔵大臣として費用がかかっている統制は廃止して、自由な市場経済に移行していきたいというものだったのです。
なぜ池田勇人は批判されてしまったのか?
江戸時代から米を食べられるのは、武士や裕福な家に限られていました。米は「銀シャリ」と呼ばれ、あこがれのものだったのです。多くの農家は、作った米は売り、自分たちは麦やアワ、ヒエといった雑穀を主に食べていました。
今では、麦ご飯は健康食品、ダイエット食品として人気ですが、高度成長以前はできれば卒業したい食事だったんですね。今でも、年配の人は麦飯が嫌いな人も多いようです。
池田勇人の答弁は、白米に憧れる国民感情を意識したマスコミによって、貧困層を侮蔑するかのような発言として切り取られてしまったのです。
ちなみに、白米の「銀シャリ」に対して、麦飯は「バクシャリ」と言われることがあります。
まとめ
「貧乏人は麦を食え」とは、戦後間もない頃の池田勇人蔵相の国会答弁をマスコミが報じた際の言葉でした。その背景には、米と麦への国民のイメージや切なる想いがあったのです。
麦ご飯は、食物繊維が豊富で、食物繊維が不足しがちな現代人にも多くのメリットがある食事です。
健康やダイエットが気になっていたら、ぜひこの機会に試してみてくださいね。
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